自分は間違っていたのかな

最近、この本を読み返しています。

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子どもを信じること

子どもを信じること

 

 

子育てに行き詰まると読み返す本です。

 

行き詰まるというと大袈裟ですが、娘のダンスの習い事がうまくいっておらず悩んでいたのです。

 

このブログでも以前、何度か書いてきましたが、小学一年生の娘にとって、毎日練習することがかなり負担の様子。

 

週に一回のレッスンには喜んで通っているのですが、そこで習った振り付けを次回レッスンまでに覚えてこないと、ついていけなくなってしまいます。

 

ですので、覚えるためには練習するしかありません。

 

そこで、平日30分、週末60分、練習しようと約束して取り組んできたのですが、とにかく練習を嫌がります。

 

どのくらい嫌がっているかと言うと、練習時間はタイマーで測っているのですが、そのタイマーセットをこっそり20分にして始めて、こちらを出し抜こうとしたりするくらいです。

 

そして、できてないパートこそ練習すべきなのに、できるパートしか踊りたがりません。

 

できてないところを繰り返すとカンシャクを起こしてしまいます。

 

最近は、自分はダンス向いてない、どうせできないんだ、みたいなことを言い出す始末。

 

できてないのは練習してないからだ、練習すればすぐできるようになんだってば!と伝えて宥めながらやらせ、実際5分もやればそれなりにできるようになるのですが、それを学習せず、新しいパートを練習するたびに、やるやらないの押し問答…ww

 

先日、娘から練習時間短縮の交渉をされ、悩みましたが、平日20分、週末40分に短縮することで妥結しました。

 

ダンス発表会を経れば変わるかな、とか、ダンスの全国大会予選を観にいかせて刺激を受けたら変わるかな、とか、いろいろやりましたが、娘の練習嫌いは治るばかりか、悪化の一途を辿っているように思います。

 

このままこれを続けていて良くなる気がしない。

今の自分の向き合い方は間違っているのかもしれない。

 

じゃあ、どう向き合うべきなのか。

 

そんなことを思って冒頭の本を手に取り、読み進めている次第です。

 

この本は、子供を健やかに成長させるために親がどうあるべきかを説いた本。

著者は医師であり、臨床心理士であり、四児の父親であり、地元のサッカースクールの指導者。

 

理論と実践を基にした、子供への愛情溢れるアドバイスの数々が胸に刺さります。

 

一貫して主張しているのは、子育てにおいて一番大切なことは、子供が幸せに生きていけることだということ。

 

それ以外のことは枝葉末節。

 

好き嫌いせず食べられるようになることも、

外で騒がず過ごせるようになることも、

宿題きちんとやることも、

遅刻しないで学校行くことも、

歯磨ききちんとやることも、

全ては子供が幸せに生きていけるためのこと。

 

その目的を忘れてしまうと、子供にとっても親にとっても息苦しくなってしまいますよと。

 

毎日毎日小言を言って、急かして、強制して、親が思うように子供を動かそうとすれば、子供の本来持っている自主性、自律性、自己成長能力は削がれ、元気を失い、本来の目的である幸せに生きていけるようになることから遠のいてしまいます。

 

著者の田中先生はこう書いています。

子どもは一人一人その子なりの強さやすばらしさをもっています。それらが上手く育って個性が発揮されるためにも、不要な干渉をできるだけ控え、子どもの力を信じて支えてあげましょう。

p.219

 

嫌いなものを強制して食べさせられ、食べることが嫌いになるよりも、好きなものを美味しく、楽しく食べることで、食べることが好きになる。

ピーマン強要して食べることが嫌になることと、ピーマン残してもいいから食べることが楽しくて好きになることと、長期的にみてどちらが子どもの幸せに繋がりますかね?ということですよね。

 

ダンスでも同じです。

 

頑張ることを強制した結果、ダンスが嫌いになるよりも、頑張らなくていいから、まずはダンスを楽しむこと。そしたらそれを好きになる。頑張りたくなるのはその後。好きになる前に頑張ることを強要しても頑張れない。親は子どもの自主性、自己成長力を信じてあげるべきなんですね。

 

本を読みながら、そんなことを思いました。

 

で、娘と話しました。

 

--毎日やってるダンスの練習だけど、これからはお父さんと無理矢理やらなくていいよ。

 

娘:え?

 

--お父さん、きみに頑張ったら何でも上手くなる、ってことを教えたくて、厳しくやってたけど、それではいけないかなって思うようになって。ダンスが好きじゃなくなったら意味がないかなって。ちょっと厳しくやらせ過ぎたかなって思ってさ。

 

娘:ふーん…。

 

--だからこれからはダンス練習したら?って言うけど、やるかやらないかは任せるよ。

 

娘:なんで〜(泣)

 

--いや、怒ってるわけでも勝手にしなって言ってるわけでもないんだよ。くどくど…

 

恐らく、私が業を煮やして放り投げたというように感じだのでしょう。娘は泣いてしまいました。しばらく説明したら落ち着いた感じもありましたが、娘としてもイマイチなんでこうなったのか理解しかねている様子。でも、説明を繰り返し、泣きやんだ後は、心なしかホッとしているようにも見えました。

 

この選択の結果、どうなるかはまだ分かりません。

全くダンス練習しなくなって習い事してる意味ないなと感じるようになるのか、意外と頑張るのか。

 

こう書いて気がつきましたが、"習い事してる意味"なんて考えてるのが良くないのかな、なんて思います。成果、結果ばかり追い求め過ぎなんでしょうかね。もっと鷹揚に構えて、楽しく生きていければそれでいいよな、なんて思います。