ガリガリおじさん

娘は私のことをたまに


ガリガリおじさん!!


と呼ぶのです。


大体、周りに友達とか人がいるときに言うので、ひと笑いとるための持ちネタと化しております。

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たしかにガリガリおじさんなのでね、それは事実そうですし、私自身、そう言われることについて1mmも気にしていないので、全くもって構わないのですが、でもちょっと気になるのです。

 


これって、容姿を揶揄して笑いに変えてるよなって。

 


相手が全く気にしていなくて、親しい関係性の中で、合意のもとであれば許される場面もあるんだと思います。たとえば、娘が私に言うガリガリおじさんとか。

 


でも、それは実は特殊なケースであり、ほとんどのケース、NGですね。いや、合意がとれてると思ってるのは自分だけで、相手は気にしていないように見えて、実は気にしているのかもしれません。

 


そう考えると、言いたいことをお互い言い合える関係性、明確な合意のもとでなければ使えない、高度なコミュニケーションの形なんだと思います。

 


容姿を笑いにしてよいかを決めるのは、その当事者の意思が前提とならなければいけないと言うことです。

 


もっと踏み込んで言うと、その意思さえも、本人が本当に気にしていなくて純粋に笑いにしたいのか、もしくは人に言われる前に自分から言って貶めることで先回りして自分を守っているのか、そこまで見極めなければいけないのだと思います。

 


後者なのであれば、哀しい笑いなのでね、本人がいいと言っても、それに乗っかってはいけないんだろうと思います。

 


ブサイクを売りにする女性芸人問題、みたいな話も根っこは一緒なのかなって。そういう芸を見て感じるモヤモヤ…。本人が良ければいいのではあるんだけど…。

 


まぁ私は前者であろうと後者であろうと、本人が良いと思っていようと、基本的には容姿を揶揄した笑いは避けてますね。

 

 

こんな記事がありました。同意のできる意見だなぁと思います。

SHELLYがMCを務める『Wの悲喜劇~日本一過激なオンナのニュース』(AbemaTV/アベマTV※毎週土曜23時から放送中)では「ブスという呪い」をテーマにリアルな経験をした女性たちが胸の内を語った。

 

ひとりの女性が“ブスいじり”を引き受けることで、その場の空気が和やかになるというゲストの話に、番組MCのSHELLYは「それは、ものすごくコミュニケーション能力が低い。ひとり傷つく人間を作らないと、みんなで楽しくできない場って……」と戸惑いを隠せない。

 

 「結果的に(ブスいじりを)請け負い慣れてしまって、開き直ってくれているからみんなが笑顔っぽくなっているだけ。でも、最初は絶対笑顔じゃない。だって、もらったもの(容姿)で生きているだけ。『この人は(ブスだと)いじっていい』『いじっちゃいけない』って、誰が決めているの?」と熱く訴えるSHELLY。

 

さらに、SHELLYは「ブスいじりだけじゃなくて、デブいじりだったり、こういう女性はバカみたいな価値観だったり、女性に対するたくさんの偏見が受け入れられてしまった結果、『いじってもOK』みたいな空気になってしまった。受け入れない女性が『空気が読めない』みたいになってしまっている」と分析。SHELLYの話を白鳥は「そっかぁ、洗脳されすぎちゃって……」と真剣な表情で聞く。

バラエティー番組に“ブスいじり”は必要か? 女芸人の本音「もし芸人じゃなかったら…」 【ABEMA TIMES】

 

私の意見を付け加えると、それは女性に限定した話ではないよな、ということでしょうか。そのまま男性に置き換えても本質は変わらない話なんだと思います。

 

とはいえ、そう言った類のコミュニケーションが絶対悪かというと、そこまでのものでもない、という感覚があるのも事実。行き過ぎると、逆に息苦しくなるというか、気を使い過ぎてギスギスしてくるというか、あまりにナイーブ過ぎるのも考えものです。前述したような閉ざされた場において一定条件が揃った上でのからかいや自虐は、目クジラ立てるほどのものではないと思っています。

 

 

で、娘の話に戻しますと、そういう高度で繊細な部類のコミュニケーションであることを娘が分かって使いこなせるのかと言うと、それはまだできないわけです。
圧倒的に人生経験が足りていないから。

 


今まで娘からガリガリおじさんて言われても、モヤっとしながらスルーしてきたのですが、このブログを書きながら、そのモヤモヤの正体が分かってきました。

 

 

私は、娘が人の容姿を揶揄して笑いを取っていることに本人が無自覚であることにモヤっとしていたわけです。

 


相手がそれを受け入れる人であれば、それはそのまま持ちネタになるのでしょうし、相手が受け入れなければ嫌われたり、喧嘩になったりするのでしょう。逆に、揶揄される当事者になることもありえます。

 


結局、本質的なことはそうした経験を通さないと分からないし、学べない。

 


だからと言って、スルーするのも違うなと。
言われることで分かること、気がつくこともあるんだろうし。当事者になったときの理解度が高まるんだと思うし。

 


と言うことで、今度ガリガリおじさんと言われたときに、いろいろ話してみようと思います。